通信簿 [日常]

ご無沙汰し過ぎてしまいました

コロナにもめげず元気にしておりました


明日から夏休みだと言うので娘に孫の通信簿はどうだったかと聞いてみたら

もらってこなかったと言うじゃありませんか

何故だかわからないけどコロナでだいぶお休みが多かったから

くれるのは始業式の時かな?と呑気なこと言っています



通信簿で思い出したことがあります

あれは私が高校1年生の3学期のこと

成績表にはクラスの順位も書かれていました

先生にもらいに行ってそれを見た時思わず「へっ!!!」

見間違いであって欲しかったのですがまさかのビリでした

ブービー賞ではなく生粋のビリ、正真正銘のビリ

目の前が真っ白になるとはあのことです

出来なかったことへの反省ではなく

親に見せるときのことを考えると消えてしまいたいと思いました


ビリの成績をもらった私が言うのも変なんですが

中学くらいまでは学年で10人のうちに入っていました(ホント)

中学受験をしているので塾にも行き家庭教師にも来てもらっていましたから

勉強の貯金がまだ残っていた頃でした

引き続き塾には通っていたため学校の勉強は楽勝でした(ホントです^^)

塾といっても昭和の30年代だったので昔先生だった人が定年になって家庭で何人かの子供に

教えているような家庭的な塾でした

なので手取り足取りの教え方でいくらボンクラな私でも解ったんだと思います


家庭教師は小学校の担任の先生が来てくれていました

今なら有りえないことだと思います

昔はおおらかだったんですね

親はどう言う経路で担任の先生にお願いしたのか・・・


高校に進級してからは塾を辞めてしまい遊び呆けていました

勉強は本当にしなかったなぁ。。^^;

その結果がビリです

中学受験をさせるくらいですから親は多分教育熱心だったんだと思います

中学までは「よしよし」と言われるくらいの成績表をもらっていたから

親も期待しちゃったんでしょうね

何しろ一人っ子、他に期待する子がいないのですから当然と言えば当然です


このビリの成績表をどうしようか真剣に悩みました

なにせビリ初体験ですから親のことを考えると震えます


この成績表をどうするか!!

そしてついに考えに考えてやっと私なりの名案が浮かびました

3学期ということが幸運でした

見せる前に燃やしちゃえばいいんだ♡

来月からは高校生1年生!成績表を戻さなくて良い^^

これを考えついてから気が楽になりました

特に煩かった父親に成績で怒られることがなくなる

しかし、あに図らんや父親からは近所に丸聞こえの大声で怒鳴られました

これも当然と言えば当然^^;

成績の内容を聞かれた私「見てないから分からない・・」「嘘つくな!!」

これでまた怒鳴られました

見てないわけないですもんね(笑)


高校に入ってからは下り坂を転げ落ちるようにコロコロコロコロ・・

高校受験をしてきた人たちが入学してきたので

なにも勉強せずにエスカレーター式で進級した私たちは

高校から入学してきた人たちにどんどん追い越されてしまいました

もちろんしっかり勉強した人はトップに何人もいましたが

私の周りにはいませんでした(類は友を呼ぶですかね)


高校生活も後半になり卒業を間近に控えた時期に

成績の悪い人は親が呼ばれます

一定の成績を取っていないと留年です

コロコロコロコロ先頭を切って転げ落ちた私はもちろん親に呼び出しが掛かりました

本当に勉強しなかったなぁ。。じゃなくて勉強できなかったなぁ

それと欠席が多かったのが問題になリました

成績も悪い欠席も多い

これは問題児扱いになってもしょうがないです


親と私は呼び出しに素直に従い揃って

面談室に入ると担任の先生と学年主任

そしてあとは忘れましたが4〜5人いました

学年主任の理科のコワ〜〜い先生が成績と欠席日数が多いことを偉そうに母に言っていました

この先生ホント嫌い!いつも偉そうにしてて大っ嫌い!と心の中で叫んでました(笑)

欠席日数は確かに多く1ヶ月に半分くらい休んでいました

これでは勉強もできなくなります


丁度高校生になった頃から母がひどい更年期で私が学校に行こうとすると

学校を休んで側にいて欲しいと毎朝懇願されました

一人になるのが心細かったんだと思います

母の更年期はかなり酷い症状でした

夜中に怖いとガタガタ震え死にたい死にたいとぶつぶつ言い

一睡もしないで泣き続けていました

そんな母を一人にするのも不安だったし

学校へくより家でテレビを見ている方が楽なので母の申し出を快く受け

「ずる休みじゃないよお母さんが具合が悪いんだからね」

と自分に理由付け。


当時横浜の隅っこに住んでいたので

最寄り駅まで30分の徒歩そして何本も電車に乗り継いで片道2時間の道のり

行くのが面倒になっていたのも確かです

欠席日数が多い理由を母は説明していましたが

そんなことどうでも良いような理科の先生の無視した顔

やっぱりこの先生、大大大っ嫌い!


しかし成績が悪いことを指摘した後でびっくりするようなことを言います

中間試験学期末の成績は良くないけど卒業試験の結果が学年でトップクラスに入っている・・・と

心の声「やればできる子なのよ私、ん?でもやってないな・・」

大っ嫌いな理科の先生が言うには

中間や学期末が悪くて卒業試験がこんなにいいのは

カンニングしたと思われても仕方ないんだぞ

あのときの衝撃は今も忘れられません、傷つきました。

担任の先生はなにも庇ってくれません

まだ若い先生で下を向いてじっとしています

嫌味を散々言われて解放された母と私はどうやって家に帰ったか

全く覚えていません

母は体調が悪かったと思います

2時間もかかる学校まで呼び出されて嫌味を言われ可愛そうでした

「月謝を払ってるのはこちらよ要するにお客様じゃないの

その犯罪者扱いはなんなの!?」と今の私だったら言います(多分。。)

でも当時の私は言われるままでした、母も然り

母娘でおとなしかったです。当時は。


これには後日談があります


卒業試験のプリントが返却されてみると
なんと母親が呼び出された時に見せられた卒業試験の平均点と違うのです


当時は平均点を計算する際は今のように電卓がなく算盤でした

なので担任の先生が計算間違えをしたんでしょうね

返却されたテストの平均点より
親子面談で見せてもらったテストの平均点の方が

10点多かったのです 四教科の平均点の10点は大きいです 全然庇ってくれなかったけど間違って高得点にしてくれたからヨシとします^^
この件は親にもクラスメートにも内緒で卒業しました^ - ^
娘に通信簿燃やし事件のことを話し 子供が怖がって通信簿を燃やすくらい追い詰めてしまう親には 絶対にならないぞ!と心に誓ったのよ 誓い守れてた?と聞いたら 「おかげさまで自由に楽しく過ごしちゃったよー」と返事が来ました 良かった〜♪ セミを仲良く見ている2ニャン
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